Triop to Cambodia
5.2006.5.5(金)

【a.m.8:00】
今日は遺跡のパスもないし、プノン・クロムにでも行ってみようかと思ったら、なんとここも最近パスが必要になったということであっさり諦め。遺跡維持のためには経費もかかるから有料なのは理解できるんだけど、少しくらいパスなしで見れる遺跡も残してもらいたいな・・・。


【a.m.10:30】
そこで、結局サラモンティーン・ミーン(地雷博物館)へ向かった。アキ・ラー氏の自宅を兼ねているということで非常に庶民的な場所だった。
しかし展示内容は濃かった。
英語、日本語、ハングルなどで説明書きがあったり、実際に除去してきた地雷がゴロゴロしてたり、地雷の埋められている状態を再現した展示もあった。同じ敷地に住んでいるという子達が説明してくれたりもする。10代後半のなかなかカッコいい子がイギリスから来たというカップルにガイドしていたので、一緒に聞いてたんだけど、ふと見ると彼は義足だった。
大型のテレビではアキ・ラー氏のインタビューや地雷除去作業の映像が流れていて、かなり見応えがあった。
今でこそボランティで地雷除去活動をしている氏だけれど、内戦時代は少年兵として戦っていて、地雷も埋めていたという話を知って、なんともやりきれない気分になった。子供時代に戦争を体験していること。選択肢のなかった時代。この国の25歳以上の人達にとっては、それが当たり前の経験なんだと思うとずどーんと重い気分になってしまった。平和な日本でのほほんと育ったこと対する罪悪感のようなものも感じた。どうすることもできない過去なんだけどね。
1時間程かけて見て廻って、気持ちはすっかり沈んでしまった。かつて日本も戦争やってたし、今も争いを続けている国・地域があるけど、なんでやめられないんだろう。どこに意味があるのかわからない。
*-*-*-*-*
ここの活動の一部は野老康宏氏の『生と死と地雷と』という写真集でも知ることができます。旅行前に横浜の日本新聞博物館のギャラリーショップでも見かけたな。


西側(向かって左側)のタイ国境のほうが地雷がたくさん


一瞬ポップなオモチャみたいでしょ?
コレで人が殺せるなんてなぁ。こんなもん人が作るなんてなぁ。

【a.m.11:30】
気分が落ちたまま、アテもなくシヴォタ通りのアンコール・マーケットでバイクを降りた。暑いのでアンコール・マーケットでちょっとお買い物。この店のラインナップを見ると、何の不便もなく暮らせそうな雰囲気。日用品から各種リキュール、乳製品、食材なんでもあるよ。日本より物価は安いし、いいなぁ。
さっきまで見てたものも現実で、一方ではこうして現代を生きているのも現実。この複雑な気分がカンボジアの旅の魅力の一部なのかも。


【p.m.12:00】
お茶とランチはカフェ・インドシン。
地雷博物館で買った写真集を見て、またモノ思う。う〜ん。現実、現実。
お茶だけのつもりがどっぷり疲れてしまってそのままランチ。
昨日いまいちだったアモックに再挑戦してみた。うん、こちらのアモックはなかなか美味でした。(うっかり赤唐辛子を食べてしまって頭がクラクラしたけど)流石フランス人オーナーのお店だけあって、インテリアもカトラリーもお洒落でゆっくりできました。値段がやや高めなのは別にいいんだけど、メニューに記載されている料金の他に10%のサービス料というのがやや難かな。
シン・タマニの前の通りを歩いてシェムリアップ川沿いを6号線に向かって歩いた。川沿いに等間隔で並んでいるベンチにはアイスクリーム売りのおっちゃんが昼寝の真っ最中。どのベンチにも一人づつ寝てる景色はなんとも長閑です。
真っ昼間の灼熱の中、ありえないくらいノロノロと散歩しながら宿へ。いつもはバイクでブーンと通り過ぎているところだけど、歩いてみると色んなお店があった。家具屋、オーディオ屋、マッサージ屋などなど。商品に値札が付いてないので相場はわからなかったけど、音響機器とかテレビなんかは結構な品揃えだった。


カフェ・インドシンのアモック


奥の建物は郵便局


昼寝中の
アイスクリーム売り
【p.m.14:00】
宿に戻り、ハンモックに揺られて読書。落ち着くー。


【p.m.15:00】
一二三(ひふみ)日本語教室へ。
ちょっと道に迷ったけど、どうにか探し当てることができた。
もともとは前回の旅行の後にmixiで偶然見つけて、メールしただけで、今回いつ行くとか全く連絡もしていなかったのでダメもとの訪問。
鬼一二三(おに ひふみ)先生はフランス語のプライベートレッスン中だったので図書館(といっても割と手狭)や壁の習字を拝見して時間を潰す。なんか小学校みたいな感じ。
突然の訪問にも関わらず小1時間もお話できた。大使館とかNGOとか色々な団体がある中で、個人で学校を運営しているというのはなかなかできるものではないけれど、変な気負いも感じられず、シンプルに「すごい人だ。」と思った。
今度来る時は日本語の古本持って来よう。




習字、どれも上手い


小説、絵本から図鑑まで

【p.m.17:00】
一旦宿に戻って、今度は宿のスタッフのナットと一緒にナットの実家へ。
既に観光で出入りする時間は過ぎていたけど、遺跡のチェックポイントを通過してバイヨンの先へバイクをかっ飛ばして行く。明らかに50km/hオーバーなのに、メーターは壊れてて0km/hのまま。おまけに道もデコボコ。バイクに慣れてきてたとはいえ、さすがにこえ〜。

目的はナットのお姉さんの家でやっている学校の見学だったけど、いつもの先生が家の引越しだとかで急遽お休みで授業もやってなかった・・・。あー、残念。仕方なく庭のマンゴーを採って食べたりしてブラブラ時間を潰す。採れたてマンゴーなんて生まれて初めて。庭にいたブタとか鶏を写真に撮ってたらナットの姪っ子に笑われてしまった・・・。
折角来たのにこのままおしまいか、と思っていたら近所の子供達が集まって来た。何だろうなー、と一緒にお姉さん家に上がって座って待ってたら、ナットが先生になって英語を教え始めた!(バイクに乗りながら「ボクは校長先生だよー。」と言ってたのは本当だったのだ。)
非常に初歩的な内容だったので、一緒に先生ごっこしてきた。
が、授業の内容は「How old are you?」「I'm ○○years old.」という会話の練習だったので、ちょっと参った。質問されて素直に答えたら、子供達目がテン。君たちのお母さんより年上でさぞかし驚いたことでしょう。よい勉強になったね。フフフ。


【p.m.21:00】
今夜が最後の夜ということもあって、宿のおかみこと本田さんとナットと3人でバー・ストリートまで飲みに行った。昼間と違って主に白人の旅行者が騒いでて賑やかだったな。マラッカのナイト・マーケットみたいだった。
言いだしっぺのナットが実はほとんどお酒を飲まないということが分かって、サックリ1杯で店を出た。帰り際、本田さんの知り合いの地元の人がいて、挨拶&握手をした。彼は腕がなかったんだけど、その腕で握手した。二の腕の途中から腕がなかったけど、あまりにも自然に手を伸ばす仕草だったので違和感なく「ヤアヤア」と握手した。正直、別にかわいそうとかも感じなかった。
それぐらいナチュラルだった。




ナットの甥ッコ
ヌードでごめん



純粋に勉強する姿は
美しい


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